昭和43年 1月4日朝の御理解
御教えに「天にまかせて 地にすがれよ」という教えてあります。
天に任せて、地にすがれよ、天に任せて地にすがらしてもらうという信心からでないと、本当のおかげになってこないと、ただ任せずに、ただお願いをする、なるほどそれでおかげを受けましてもそれは、ぽつんとしたそのおかげだけ、その事が成就するだけ、あとに根がない、つながっていない。
天に任せて地にすがる信心をさせてもらうところから、どこどこまでも限りなくつながっていくおかげにつながっていくことができる。
神様が下さろうとする本当のおかげというのは、やはり、まかせることから、そしてそこから地にひれ伏した信心さしてもろうてから、いただけるものである。こうですから、ああですからというてお願いして、ああもなり、こうもなっただけでは、それまでの話。本当に思いもかけないことにおかげが進展していくと、ね、しかも限りなくそれが続いていくというおかげを頂くためにもお互いがいよいよ、天に任せての信心、しかも天地にひれ伏しての、実意丁寧神信心をいよいよ地にすがっての信心をお互い目指さなければなりません。
そこに神ながらという言葉をつかいますね、神ながらの信心、間違いますとこの神ながらは大変意味を違えると難しい、大変な事になりますね。
けども本当の神ながらは、ね、ほんとに神様のお働きをお働きとして、氏子が表していくのなら、神様のお働きのお邪魔をしない、そういうところから生まれてくる信心であり、おかげであって初めて神ながらの信心といえ、神ながらのおかげであるということが言える。
その神ながらのおかげでないと、続かない、油げとんびにさらわれた、という。ね、本当に神様がここにおかげを用意しておって下さっておっても、神様のおぜん立てをそこにして下さってあってもです、ね、その前に座ることが出来ずに横から人が座ってしまう。
そういうようなことが、どれくらい沢山あるか分からない、神様はこの氏子のためにと、その上等の御膳部、用意して下さってあるんだけれど、その前に座る事が互い違いになって、そして他のものが座ってしまう、まさに、油げ、とんびにさらわれた、という形じゃばからしい話である、ね。
これは私の知っておる限りの教会でなされておるんですがね、知っておる限りというのは、私が知っておるところでは、やっぱそうなんですけどね。
例えばあのご本部参拝を、10日なら10日の月次祭にちょうどぶつかるとか、そうすると2、3日前にお月次祭ならお月次祭を奉仕されるという教会が多い。
なるほど先生はおられるし、例えていうならここで五十名なら五十名の人が、今度報徳祭にお参りしましたですね、ちょうど十日のお祭りであったから、七日ぐらいにもし、ありを奉仕しておったら、その五十名も全部月次祭に参ってきたであろう。
まあいうなら、五十名の人のお初穂も教会のいわゆる収入になるだろう。お参りも多いだろう。先生もおって奉仕をするからいつもと変わらんようにお月次祭もできるかもしれん。けど、それはそれだけのこと。
私はこれは、皆さんの家で毎年決められておる謝恩祭なんかでも、私は絶対日にちを変えない。こうと御神意を頂いて決めたら最後、できんというならやめなさい、ね、神ながらな、いわゆる日にちを決めて頂いたのであるならば、そこんところを頂いていかなければいけん、というのが私の心情、それをもって私は神ながらだ、とこういう。ね。
神様がお定め下さったものを、どういうこちらに都合があっても、それをやはり、それをおして頂いていこうとする心だ。そのことによって、それは願った通りにならないかもしれない、ね、月次祭は結局、お参りが少ないかもしれない。けどもね、いうなら、そんなこっちゃないのですよ。神様の働き、ね、例えばなら、・・?そのようにして今度の報徳祭十二月の報徳祭をお参りをさせて頂いた。神ながらなお参りをさせて頂いた、そこでその親先生がおられんから、・・・?になっておられる、信者さん方ほとんどが御本部参拝をしておられるからというので、若い青年層、学生層の人達がもう僕たちでお祭りを仕えようといったような意気込みが生まれてきた。さあ、とにかく、中頃に帰ってきたけれども、ビックリするような、もうそれこそ生き生きとした、かって見ることの出来ないような、普通の月次祭で出来ないような斬新な、生き生きとしたお月次祭が奉仕されていた。
だけではない、帰って来て驚いた事には、その青年会の学生の方たちが中心になって、正月の元旦祭を終えたならば、御本部参拝をさせて頂こうという、団体参拝の計画すらができておった。
四十何名の者、ずらーっとその参拝する、まあ、結局五十六名お参りさせていただいたんですけれども、そういう働きなって、ね。どうでしょう、私がそんなら十日のお月次祭をなら七日の日に仕えとったら、とてもあんな働きになってこない、それだけじゃありませんよね、本当に私は合楽の御ひれいをそのまま御本部に移させてもらい、そして御本部の御ひれいをまた頂いて帰ってくるとい、私は出発の時に際してから、そんなことを申しましたがです、まさしくその通り、もう本当にそれは、お話を聞けば聞くほどに、神ながらのお参りであり、神ながらの言葉です。ご本部で受けておる。
ね、もう様々な意味合いにおいて、そらやっぱり、若い人達が五十名そろうたらですね、ここ広前いっぱい、だいたいいっぱいくらいありますから。
ね、みんな帰って御祈念させて、もう五十名ちゃ相当あるなと思う。いや、例えば奥城なら奥城で、もうそれこそここ流儀に、一生懸命で大祓いを奏上したり、みんなの目に付かんはずがない、目にとまられたのがあの隅田博士ですよね、隅田先生、工学博士、以前の金光中学の校長をしておられた方、非常に有名なここの平田さんあたりと肩を並べてのまあ、全教的にいう大きな信者さんなんですよね。やっぱ不思議に思われたですね、
奥城で若い者が・・?しておるもんですから。
ほいでその隅田先生の先唱で、その全部が御祈念をさせて頂いた、もう大変感激され、大変その喜ばれてですね、ほんとにその、合楽に自分も行きたい、まあ、それこそ葉書一本、まぁ出したらいつでも飛んできて御用させて頂きたい、といったようなことになってきて、それは合楽の信心を宣伝するというんじゃないけれど、ほんとにそういう意味合いにおいて神様が宣伝なさらなければです、私の願いとしてもどうでも現在の教団の信心のあり方ということ中に、私のあり方が、その中にひとつ入っていく事によって、わたしはいよいよ、有難い強い信心が頂けれると私は確信してるんです。
ね、というように、そういうような、まあ、これから先どう繋がっていくやら分からんでしょうが、ね、そういうおかげがです、神ながらのおかげだとこう私は思うんです。
どこまでもどこまでも限りがない、まあ、例えばなら、隅田先生がまあここに見えたとする、それからこんだ、んなら、それこそあちらこちらにその響きになるおかげになったら、そりゃ大したこと、ここが宣伝されるというのじゃなくて、ここの信心がです、紹介されることになる。それが教団の力になると私は確信しておる。
ね、そういう例えば神様の願いがです、そういう形において成就している、そういうおかげというのがですね、天に任せて地にすがる信心からしか生まれてこないのです。
合楽の方達は、大体親先生任せとかね、神様任せとか、まあ、これはいうなら、天に任せた生き方なんですけどもね、地にすがるということができていない、ね、ここんところがおろそかになっておるという感じがする。これは私を始めそうなんですけども、そこんところをですね、もう少し大事にしてやらなければならない、そしていよいよ天に任せて地にすがれよとおっしゃる。天に任せて地にすがらせてもらえる信心、そこから神ながらな神様の働きがです、始まられる。そこにはもう思いもかけないどこまで続くやら分からんほどのおかげに繋がっておる、その中に私共はです、夢にも、それこそ夢想だにしなかった御善部の用意の前に、きちっと座っていくことが出来るという、その時に神も喜び、氏子も喜び金光大神をも喜びということになるんです。
ね、ところが神ながらなおかげを互い違いにしていくところからです、せっかくこのおいしい物を食べさせてやろう、このおかげをやろうと思うてござる神様の思いを互い違いにしてしまう、自分もがっかりなら、よりがっかりなさるのは神様である。
ね、ただ願った事が成就するといったようなのは、それぎりのことである。
ね、願わんでも頼まんでも、天に任せて地にすがる信心を体得させてもらい、ね、
神様が下さろうとする神ながらのおかげを頂くために、お互いいよいよ神ながらの信心をさせてもらわなけえればならない、その時にはいかにも人間心でしたほうが分がええ、実がええ、都合がいいようにも思うんですけども、自分の分とか、自分の都合と言ったようなことになったら、それはもう私中心の信心、ね、いわゆる神様を中心にしたところの信心、そういう信心を私は、天に任せた信心であると思う。
そこんところをまた願っていく、すがっていくところのおかげを頂かせてもらう、ね、そこに神様の、私共の上に思いを架けておって下さる、ね.その願いが成就していくわけなんです。ね、皆さんもそこんところは様々な体験から、銘々のの上にでもそういう体験はいくらでも持っとられるでしょうが、だからひとたび、そういうような神ながらの信心をさせて頂いているのにもかかわらず、ある事情、ある事柄によってこの事だけはぷつんと、こう切ってしまうようにですよね、いわゆる人間心の方を先にして、それを神ながらではなくって、いわゆる人ながらの信心になってしまうところに、おかげが続かないのですよね。どうぞ 大坪かよこ